「愛されたい」はヒトの本能の一部

 
私たちが『愛がほしい」と言うとき、ほとんどの場合、『愛されたい」という意味で言っているのではないだろうか。 「愛がほしい」とは、言い方をかえると、「自分を愛してほしい」というコトなのだ。 考えてみれば、それはあまりにも当然のコトである。 私たち人間は、どんな形であれ、親から愛され、人々から愛されなければ、今日まで生きてこられなかったから。

「愛されたい」という思いや欲求は、私たちがこの世に生を受けた瞬間から存在する。 
それは大人になっても変わらない。 私たちは、「愛されること」を通して愛される喜び、その価値を学んできたのである。

一方、「愛すること」は、生まれながらに自然に出来るものではない。 それは学習しなければならないものなのである。 人は学習を通して“愛する力”を身につけていく。 この学習なくして“愛する人”になれないのではないか。

いつまでも“愛される”コトばかり求めて、“愛する力”を身につけるコトを怠ると、
最初はどんなに愛し合っていた二人でも、やがてその愛は破局を迎えるだろう。

『長くつきあってる恋人がいるケド最近、以前のようにワクワクしない。 デートしてても相手が私を楽しませようとしてくれない。 でも、他に好きな人ができたというワケぢゃないみたいだが。。。。これがマンネリなんだろうか』と思う人は、まさしく“愛される”コトだけを求める人の典型だろう。 二人の関係がマンネリになったと思うときは、自分がまるで子供のように“愛される”コトばかり求めていないかどうか、一度振り返ってみてはどうだろう。 二人のうち片方だけが“愛する力”を持っていたとしても、片方ダケでその愛を長続きさせるのは難しいのです。